お葬式の燈台舎

シンガポール海外搬送

シンガポールは7世紀ごろ、テマセックという名前の漁村でした。 当時の史料には、海賊を生業とする住民が住み、外国船も寄港していたと記述されています。
1402年にはマレー半島南部にマラッカ王国が建国されました。 その頃シンガポールはサンスクリット語でライオンの町を意味する「シンガプーラ」と呼ばれるようになります。
1509年にポルトガルの遠征隊がマラッカに到着すると、1511年にマラッカはポルトガルに占領されてしまいます。
1514年にはシンガプーラもポルトガルの侵略を受け荒廃します。 再び漁民と海賊が住み、マングローブのお生い茂る漁村となってしまいました。
1819年、イギリス人のトーマス・ラッフルズがシンガプーラに上陸します。 ラッフルズは当時島を支配していたジョホール王国より商館建設の許可を取り付け、名称も英語風のシンガポールと改めました。
1824年には植民地としてジョホール王国からイギリスに正式に割譲されます。 その後、シンガポールはイギリスの海峡植民地の首都となり、東アジアとヨーロッパの貿易通路の中継港としての大きな役割を果たしました。
太平洋戦争では一時日本に占領され昭南島と改名されましたが、日本の敗戦により再びイギリスの支配下に入ります。 宗主国のイギリスに対する地元住民の反感は強く、その後独立運動が続きました。
1959年イギリスより自治権を獲得すると、1963年にマレーシア成立にともなってその1州となります。 そして1965年にマレーシアより分離し、シンガポール共和国として独立しました。

故人様はシンガポールから観光で来日しておりました。
旅行先の静岡県で逝去され、関係者を通じてお迎えから市役所での手続き、大使館手続き、羽田空港まで搬送させて頂きました。
ムスリム(イスラム教)の方で、日本ムスリム協会様のご協力を頂き、都内のモスクにてムスリムに沿ったお別れ(洗体)を弊社スタッフもお手伝いさせて頂き、お祈りをしてから、空輸棺にご納棺致しました。

様々な方のご協力を頂き、お迎えから4日後に母国へ送還する事が出来ました。
日本ムスリム協会、マスジドモスク大塚の関係者様には厚く御礼を申し上げます。

シンガポール海外搬送写真(写真をクリックすると、大きく表示されます。)

故人様のお迎え前に、荷物を引取りに公園管理事務所へ
故人様のお迎え前に、荷物を引取りに公園管理事務所へ
ご依頼は夜でも24時間迅速に対応致します
ご依頼は夜でも24時間迅速に対応致します
後日あらためて死亡地である市役所へ手続きに
後日あらためて死亡地である市役所へ手続きに
都内モスクにて
都内モスクにて
ムスリム(イスラム教)のお別れの準備
ムスリム(イスラム教)のお別れの準備
大変お世話になったマスジドモスク大塚
大変お世話になったマスジドモスク大塚
早朝よりご遺体の搬送の為、羽田空港へ
早朝よりご遺体の搬送の為、羽田空港へ
空港職員の手により梱包していきます
空港職員の手により梱包していきます
ご遺体をお預けした後、国際ターミナルへ
ご遺体をお預けした後、国際ターミナルへ
ご家族とご遺体が搭乗する機体の確認
ご家族とご遺体が搭乗する機体の確認
羽田空港国際ターミナル
羽田空港国際ターミナル
国際ターミナルは江戸の街並みを再現
国際ターミナルは江戸の街並みを再現
搭乗した機体の離陸準備
搭乗した機体の離陸準備
離陸準備も整い
離陸準備も整い
離陸を見届けます
離陸を見届けます
滑走路へ向けて離れていきます
滑走路へ向けて離れていきます
最近では空港やサービスエリアなどにムスリム専用の部屋が用意されています
最近では空港やサービスエリアなどにムスリム専用の部屋が用意されています
お世話になったシンガポール大使館に後日お礼とご報告を
お世話になったシンガポール大使館に後日お礼とご報告を

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